灯油を難なく使いきれそうな花冷えの日々、おかげで入学式には桜が残っていそうですね🌸

(うちの近所の今年の桜たち)
春と言えばの話題ですが、「強豪校に進学したものの起用されない」、こう悩むスポーツ選手は多いです。
実際、悩むわが子の姿に心を痛めた親御さんからの相談もよくお受けします。
サッカーに関して言うと、私学は特に全額免除(せめて半額免除)で推薦入学する選手でもない限り最初から注目されることはありません。
それでも、強豪校に行くチャレンジ精神のある選手は元のチームでは主将や主力選手です。
「自分のレベルってどれくらい?」
「けっこうイケてるかも?」
「いや、そうでもないか」
無垢なプライドとともに入部してみたら、近くで見る3年生のデカさ、ゴツさに慄く。
さらに構築済みヒエラルキーに小さくなってしまう…
そんなスタートを切る人も多いのではないでしょうか。
自分よりはるかに立派に見える先輩たち、自分よりなんだか凄そうな同期に混じって、毎日緊張しながらついて行くのに必死。その中で通用する部分を探る。
そうしてキツい練習に慣れてくる頃、チームのカテゴリー分けをされ自分の現地点を知らされます。
さらにそこからは、「使われる・使われない」の現実が目の前に。
起用確定レベルでない人は、選ばれたり選ばれなかったりで、どうしても一喜一憂してしまう。
特にコーチの好み・尺度が全ての現場だと、そこに合わせるしかなくなります。
(1回風邪で休むとカテゴリーを落とされたりするので、使われなくなるくらいなら、多少の熱や痛みは隠して練習してしまいます)
この構図って私はいつも、後宮の王様とお妃たちみたいだなと思うのです(笑)

(息もできないほど泣いてDVDまで買った「宮廷の諍い女」笑)
王様に寵愛されるお妃はまだしも、お渡りがあったりなかったりするお妃は、気が休まるときがありません。
家柄、実家の権勢、美貌、芸能、才覚…実力に溢れるお妃でも不遇な人もいます。
しかも王様の「愛」自体が気まぐれそのもの。
そこには一貫性も何もない。そんな人を相手に選ばれるのを待つしかない。
自信があった人ほどプライドはズタズタ。そして競争が激しければ激しいほど、ズタズタにされる確率が上がる。
切なすぎる!辛すぎる!!
ところがドラマを見ていると、結構なヒントがあるんですよ。
寵愛を得られないばかりか、どんどん落ちぶれていくお妃の中には、準備を怠っていたばかりに滅多とないチャンスを逃す人もいます。
王様に気に入られようと必死になり、どんどん自分を見失っていく人…
ズル賢く立ち回るうちに、周りからの信頼がなくなり、結果的に自らの首を絞めていく人…
(彼女たちは時として命も失います)
反対に自らの身を助けていくお妃たちは、王様のお渡りがあろうがなかろうが、お呼び出しがあろうがなかろうが、「自分を磨く」ことは怠らないのです。
肌や爪、髪の手入れ、何を食べるか着るか。特に自分の得意分野には磨きをかけます。
楽器も歌も踊りも書も練習する、香や刺繍に秀でる、薬学に通じる、料理もする、古典作品や四書五経まで読破する…
とにかく、いつでも対応できるように準備しておく。
王様に顧みられないからと言って、化粧もせずだらしなく手を抜いて適当に暮らす、なんてことは間違ってもしません。
賢い人であればあるほど、王様の寵愛なんて当てにできないものはとっくに見切りをつけ、するべきことを粛々と行い続けている。
さらに見切りはつけていても、王様の好き嫌いの境界線を見つけて、その辺はきっちり押さえて振る舞う分析眼もあるのです。
とは言っても、どんなに工夫や努力をしたところで理不尽120%なときもあります。
自分で選ぶ権利がない立場の人間は、辛さしかないように思えますよね。
でも考えてみてください。
宮廷ドラマの女性たちは、親の希望や政治的な理由で結婚させられ、入宮したら一生カゴの鳥。
自分が失敗したら、親きょうだいの身の上にも危険が及びます。
対して(って大昔の宮廷と比べるのは書いててどうかと思うが😆)、現代日本のクラブ活動は自分で選んで手にした環境。
選ばれる、選ばれないの受け身一辺倒で一喜一憂するとかしんどいだけです。

(故障中、スタメン外の選手たち。できることをする尊い姿)
どうせ自分で選べないのなら、自分で選べることをしたらどうかな?
誰かの絶対評価や相対評価なんて、ハナから当てにしない。
(プロと違って契約解除になって収入がなくなる心配もない)
アップやダウンは丁寧にする。
練習の意味を考えてからやる。
分からなかったら聞く。調べる。
帰宅してからのケアも入念にする。
風邪を引かないよう気をつける。
栄養バランスに気を付けて食事する。
お母さんが忙しくて食事が疎かになるなら、自分が片付けや洗濯を手伝って、安全な食糧調達やバランスの良い食事づくりをお願いする(お年頃で反抗してる場合じゃない)。
みんながしているからと言って、帰りにコンビニには寄らない、
寄ったにしてもジュースは買わない、菓子パンや唐揚げに手を出さない、
安易にグミやハイチュウ、チョコ、アイスを口にしない。
スマホやモバイルを触る時間を減らして、明日の準備をして一刻も早く寝る。
こうした行動って誰のためでもない、ぜんぶ自分のためにできるんです。
コーチに選ばれるためにするのではなくて、自分がより成長するために選ぶ。
そもそも強豪校に入ったのは(例えばサッカーだったら)
「サッカーが好き!だからもっと上手くなりたい…!」
この気持ちが大前提にあって、だからこそ上手くなれる環境に身を置いて、自分を磨くためだったのでは?
だとしたら、「磨くことに集中する」そのために何をするかを選ぶ。
磨く・集中、こう決めたら練習の意味が変わってくる。
それに、好きなサッカーに打ち込める幸せに焦点を当てたら、試合に出られる・出られないは関係なくなってきませんか?
(「試合」だけで言えばトレーニングマッチもたくさん用意されてる)
ミスしたときだって、使ってもらえなくなるんじゃないかとヤキモキする必要はなく、次に成功する、その精度を上げるための資料にできます。
コーチの好みや尺度を研究するのも、戦術や分析眼を育てられる良い勉強材料になりそうです。
自分で選んで作る世界は喜びで満ちていく。
全て喜びの材料にできる。

(2023カンボジア時代の長男。葛藤の大きいシーズンでしたが楽しそう)
自由のない宮廷の女性たちだって、最初は選んだことではなくても、どう在るかは自分で選んで、良くも悪くも変わっていくのです。
まぁでももしかしたら、野球なら甲子園に出たい、サッカーなら選手権に出たいといった目標が目的にすり替わっていることも往々にしてあります。何なら、単に強豪校に身を置いてみたかった人もいるかもしれません。
悩んでいる選手は、自分が何にウェイトを置いて選んだのか、もう一度自分の本音と向き合ってみてください。これまでとまた違う選択肢が見えてくるはずです。
選択って可能性。
じゃあ次は何を自分のために選ぼう?楽しみですね。
それではまた。