ことなぎの西川菜緒子です。
私が「今なぜこんな仕事をしているか」
「どんな経歴の人間なのか」をたどる第2話めです。
結婚して6年目。
長男が幼稚園年長、
次男は2歳だったある冬の夜のことです。
オットと子育てのこと、
お金のことで口喧嘩になりました。
私にグダグダ理屈で責められてオットも頭にきたんでしょうね。
「そんなに嫌やったら出て行ったらええやん」と一言。
一方的に溜めた不満を
話し合うことで何とかしようと
必死な気持ちで切り出した私だったので
その言葉は絶望的かつ衝撃的でした。
わぁ…それを言う?言うてまう?
この人とはもう無理…!
とは思いましたが
離婚に対して即!現実的思考が働きました。
(この辺、我ながら図太いです)
住んでいる家は
オット実家の全額出資で建てられた家。
ややこしい性格の母親がいる実家に帰るのは死んでも嫌。
私どこに行く?
子どもはどうする?
絶対手放したくない。
どうやって養う?
1人だけなら何とかなるかも。
いや、でも、兄弟二人、
私の勝手で離ればなれなんて
酷なことはしたらあかん…
大学卒業して就職した翌年に結婚し
すぐ妊娠出産した私には貯金もない。
何の技能も資格もない。
どこに住んでどこで働く?
ってか、何して収入得るのん?
そもそも正社員で雇ってもらえる?
このまま離婚しても
オット側が主張したら親権ももらえない。
私って…
私ってな~んにもない………
真っ暗闇の中で、寒さも足のしびれも忘れて
床をじーーーっと見つめた夜のことは
今でも忘れられません。
真っ暗な深い深い底なしの
穴を覗き込んだような気になって
足元から揺らぐのを感じました。
その暗い深い穴は
ずっとモヤモヤしてきたくせに
三十歳まで何にもせず
自分で空けてきた穴だったのです。
自分自身が情けなくて
涙が出て出てしようがありませんでした。
ひとしきり泣いて
子どもが寝ている布団に入ったとき
その温もりと寝息にまた泣けてきました。
しかし朝になれば子育て中の私には
育児、家事、「待ったなしの日常」があって
泣いてばかりもいられません。
実家は昭和の一般的家庭でしたが
母親が気質的に難しい人で
夫(私の父親)に対する不平不満を
私と姉にぶつけて当たり散らす家庭でした。
「両親の不仲」が子どもに与える影響を
知っていた自分だったからこそ
オットとも不仲になりたくなくて切り出した話し合い…
のはずがあえなく撃沈したんです。
(でも今から思えば
相手にばかり要求していたんですよね。
「ある」ことに目がいかず
「ない」ものばかり見てたから。
何より「な~んにもない」人間だったから。)
離婚しよう。
でも実家には帰らない。
そして子どもは二人とも絶対に引き取る。
このことだけは心に決めました。
子ども二人を引き取って
育てるだけのお給料がもらえる仕事をするには
何か手に職が要る…!
そう思って生協の共同購入で
「全資格ハンドブック」本を入手。
できるだけ取得にお金がかからず
自分が少しでも興味のあること、
かつ頑張ってきたことで、
就ける職業って何がある?と探しました。

(鳥好きなので「ひよこの雌雄判定士」なんて資格も本気で考えました 笑)
私が頑張ってきたこと…
家事と育児…?
目指してた「怒らない優しいお母さん」にはなれてないけど
少なくとも「子どもを幸せにしたい」って
育児本だけじゃなく
児童心理学、発達学の専門的な本も読んで
食事やおもちゃや絵本や何や
調べて選んで…ってやってきてた…
健診で知り合ったママ友から
「よくそんな詳しく知ってるね〜」って
半ば引かれ気味に言われてきてた…
「心の基地はお母さん」シリーズで
子育て観が変わったのは
本の中の「誤った子育て」をされてきた一人が
自分だったと知ったからやよね?
悩んでるお母さんたちにも知ってもらって
そういう子どもを減らせたらって
かなり真剣に考えたことあった…
そっか。
私が夢中でやってきたことは子どものことや…!
そこで浮かんだのは
「幼稚園の先生」と「保育士さん」でした。
しかし幼稚園教諭資格は通信教育の他、
スクーリングにも行かねばならず
費用や場所(遠い)、拘束日数的に難しく
次男が幼すぎて諦めました。
そこでふと思い出したのが
数年前にかかってきた
うちの裏手に住んでいたNさんからの電話でした。
Nさんは離婚して実家に帰られていたのですが
あるとき「西川さんへの御礼と近況報告です」
と電話をくれたときがありました。
ん?御礼?何の?と思って聞いたら
彼女が悩んでいたときの
私のコメントが離婚を決心させたらしく
(自分がそんな後押しをしてたとは…!)
その電話のときにNさんが
「自立するために保育士試験を受ける」と言ってたんです。
さっそくNさんに電話して詳しく聞きました。
(以下2000年当時の試験制度)
・保育士試験は年に1回
・厚生労働省管轄の国家試験
・専門の学校を出ていなくても
3年間ですべての科目を合格していけばいい
・1科目60点とれば合格する
・都道府県で試験日がちがうが
どこで取っても合格科目はカウントされる
(同一日でなければ合格するチャンスが増える)
・各都道府県の社会福祉協議会が開催する
安価に設定された試験対策講座がある
(そこに出るのがむちゃ大事)
などの貴重な情報を教えてもらいました。
そこで改めて「全資格ハンドブック」を見ていたら
試験科目には「実技」と書いてあります…
絵画や言語はまだしも
ピアノ・独唱・ソルフェージュ・弾き語ると書いてある!!
人前でピアノ弾く?歌う?音程とる?
歌いながら弾く?
うわーーー!絶対無理!!
と反射的に尻込みしました。
この話をすると
「今の西川さんから考えられない」と
皆にびっくりされるのですが
当時の私は
「緊張するような辛いことは避けたい。
人前で失敗したら恥ずかしいから
そもそも挑戦しない。」
…という人間だったのです。
母親が失敗を怒るタイプで
私もええカッコしぃだったので
恥ずかしい思いをするのはイヤでした。
時代や住環境の影響もあって
目立ったら嫌われるから皆に合わして
生きてきてたし
結婚してからは
「家事をきちんとできる妻」
「義父母にウケの良い気の利く嫁」、
子どもを産んでからは
「子どもとよく遊ぶ優しいお母さん」
になりたかった。
なのに、そうはなり切れない自分を責め
いつも不安で自信がなかったんです。
ともかくそんな人間だったので
「実技??無理無理!私には無理!」
と本を閉じて終わるところでしたが
なぜかこの時だけは違いました。
私、ここを乗り越えなければ
もう一生このままになる!
と奥底から声が湧いてきました。
「一生このまま」の恐怖感の方が強かったのです。
気を取り直して講習会の時期を調べたり、
卒業証明書を取り寄せたりしてると
親切で優しいNさんが
「自分はもう合格したし背中を押してくれたお礼です」と
使っていた教科書や講習会のノート
過去問題集などの貴重な資料を送ってきてくれました。
さらに尻込みしてしまう実技試験に向けて
講習会もあることが分かりました。
それでもまだ踏ん切りがつかない。
チャレンジしてこなかった生き方の弊害ってしつこい。
グズグズしてたある日
当時リスペクトしてた人にこの話をしたら
「そんなん結局、自分がどうなりたいかですよ。
40前で子ども2人抱えて離婚して
看護助手しながら働いて
看護師になった人を僕は知ってます。」
と厳しいことをさらっと言われました。
おっしゃる通り…ぐうの音も出ない。
どうなりたいか?
今のままの自分じゃない自分になりたい。
保育士試験、
3年かけていいなら合格できるんちゃうか…
やっとそんな風に思えて
離婚への暗黒計画(笑)が発動しました。
つづく
